社長のひとりごと

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このコーナーは、わが社の社長「大鎌 博」が日々感じたことや、気づいたこと、為になる格言等、思いついたままに綴った、つぶやきコーナーです。

私達社員も、いつも読んで、新たに気づかされたこと、励まされたこと、勉強になって、仕事に活かせたり・・・、そんな社長の人となりを是非皆様に知っていただきたくて、このコーナーを作り、連載することにしました。

是非お部屋探しの合間にでも気楽に読んでいただければ幸いです。

No.10

「日本の街路樹の始まり」

 「すべての道はローマに通ず」とは、よく知られた諺ですが、古代ローマと同時期にはるか東方の中国でも、長安を中心とした道路網が樹状に拡がっていました。ジョセフ・ニーダムという英国の科学史家によれば、これらは「お互いに何の関係もなく広がった」(『中国の科学と文明』)とされています。

 現代と違って情報は生身の人間が実際に目的地へと移動して、届けなければなりません。幹線道路を「大動脈」といい、まさに国にとっては、道路等が人々や情報や物資等を運ぶための、人体でいう血管に匹敵するということは、昔も今も同じです。私たちの日本では、律令制の確立と併せて、道路運用の制度を備えた道路網を持ったとされています。

 さて、現在はある程度の道路には並木、街路樹がつきものですが、この街路樹は元々、どういった施設だったのでしょうか。日本での道路植樹の始まりは、八世紀の中頃、東大寺の僧・普照の請願により「畿内七道諸国駅路の両辺にあまねく菓樹を植うること」という太政官符が公布されたことによります。

 普照は、733年に遣唐使に随行して唐に渡り、20年の修業の後、かの鑑真和上の日本渡航と一緒に帰日しました。その在唐中、玄宗皇帝の740年、長安・洛陽を結ぶ道路とそれぞれの城中の苑内に果樹を植えるよう詔勅が出されており、普照も、この唐の都の内外の街路樹を見聞したのではないかとされています。

 普照の奏状には「道路は百姓(ひゃくせい)(人民)が絶えず行き来しているから、樹があればその傍らで休息することができ、夏は暑さを避け、飢えれば果樹の実を採って食べることができる」とあります。

 時代は下がって平安時代の『延喜式』には「凡そ諸国の駅路の辺に菓樹を植えること。往還の人をして休息を得さしめ、若し水の無き処には便を量りて井を掘れ」とされています。(『道路の日本史』武部健一 中公新書)今でいう「道の駅」みたいですね。

 街路樹の文化は、その時代時代での要請を担いながら現在に息づいているのですね。

 

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