社長のひとりごと

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このコーナーは、わが社の社長「大鎌 博」が日々感じたことや、気づいたこと、為になる格言等、思いついたままに綴った、つぶやきコーナーです。

私達社員も、いつも読んで、新たに気づかされたこと、励まされたこと、勉強になって、仕事に活かせたり・・・、そんな社長の人となりを是非皆様に知っていただきたくて、このコーナーを作り、連載することにしました。

是非お部屋探しの合間にでも気楽に読んでいただければ幸いです。

No.18

<握りずし>が全国区になった理由

「すし」というと、今や<握りずし>がイメージの主流ですが、関西にはもともと<押しずし>の文化があります。あるいは、私の田舎の岡山にも「ばらずし」という郷土料理としての<ちらしずし>があります。

 では、なぜ江戸発祥の<握りずし>が全国に拡がっているのでしょうか?一説には、1923年(大正12年)の関東大震災のとき、関東地方のすし職人が全国に散らばって「江戸前のすし」を伝えたといいます。しかしそれだけではなく、日比野光敏氏の『すしの歴史を訪ねる』(『文学ご馳走帖』野瀬泰申 幻冬舎新書)によると、

――食糧難の昭和22年(1947)年、外食券食堂などを除く料飲業者は「飲食営業緊急措

置令」によって営業できなくなった。そのとき東京のすし商組合は「自分たちは飲食業

者ではなく委託加工業者である」と主張し、米1合を握りずし10個と交換する方式を

役所に認めさせた。つまり飲食代金ではなく加工賃を受け取るというわけだ。

全国のすし屋が生き残るために、こぞってこの方式にならった結果、すしは東京流の

握りずしでなければならなかった。」という明確な歴史的理由があったそうです。   

 このあたりの歴史は、いつぞやNHKの番組で特集もしていました。すし商組合の<屁理屈>のようにも取れますが、生き残りを賭けた起死回生の一手となったことは、現在に至るの<握りずし>の興隆の歴史が語っています。この一手は、その後、東京タワーの建設で「建築基準法違反だ」との指摘を受けた時、「あれは建物ではない。電波搭なので建基法には係らない」と主張して、東京のシンボルタワーを完成させた故田中角栄を思い出します。

 

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