社長のひとりごと

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このコーナーは、わが社の社長「大鎌 博」が日々感じたことや、気づいたこと、為になる格言等、思いついたままに綴った、独白(モノローグ)コーナーです。

私達社員も、いつも読んで、新たに気づかされたり、励まされたり、勉強になって、仕事に活かせたりと、とても有意義に活用させていただいています。こんな素敵な独白を是非多くの方にも読んでいただきたくて、又、そんな社長の人となりを皆様に知っていただきたくてこのコーナーを作り、連載することにしました。

お部屋探しの合間にでも気楽に読んでいただければ幸いです。

 

No.2

「平均寿命と水道水の歴史的な関係」

 世界一の長寿国とされる日本ですが、実際に寿命が延びはじめたのは、大正10年(1921年)からだといいます。その理由に医療の発達が言われていますが、かの養老先生によると「医療の影響なんて極めて限定的だ。それ以上に、社会インフラの方が人々の健康に大きな影響を与えている」ということです。そうした視点から水道水の歴史を調べた人がいます。

「近代水道は明治20年に横浜市で最初の給水が始まり、明治31年には東京市(当時)でも配水が始まりました。問題はその当時の水道水が殺菌されないままで配水されていたことにあり、衛生的に危険ともいえる水で特に抵抗力のない乳児の死亡率が高くなっていました。そんな中、大正9年に東京市長となった後藤新平が、翌10年に東京市で最初に水道水の塩素殺菌を始めました。ご存知後藤新平は、大正12年の関東大地震時の市長です。

実はこの塩素殺菌に使われた液体塩素は大正7年に開発されました。当時のシベリア出兵に際して対ロシア戦用に開発された陸軍の新兵器だったようですが、シベリア出兵がすぐに終了したことから、その使い道のなくなった液体塩素が水道水の殺菌に転用することになったわけですが、後藤新平は市長になる2年前の大正7年に外務大臣に就任し、彼自身もシベリアに行っていました。しかも、彼は医学校を卒業後に衛生局に入り自費でドイツに留学し細菌の研究で医学博士となっている経歴があり、塩素の有益な利用方法に関して、非常に長けていたということになります。」 (『日本史の謎は「地形」で解ける【文系・文化篇】』竹村公太郎 PHP文庫)

かくして乳児の死亡率は劇的に改善され、その後、日本は長寿国への道を辿ることとなります。今でこそ「美味しい東京の水」とか何とかの謳い文句で、ペットボトルの販売もしていますが、ちょっと前までは「水道水は飲めたもんじゃない」と酷評され、家庭でも飲食店でも、いたるところで浄水器の設置が大繁盛でした。身近な水道水の歴史が私たちの平均寿命の変遷に大きく関わっていたのですね。

 

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