社長のひとりごと

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このコーナーは、わが社の社長「大鎌 博」が日々感じたことや、気づいたこと、為になる格言等、思いついたままに綴った、つぶやきコーナーです。

私達社員も、いつも読んで、新たに気づかされたこと、励まされたこと、勉強になって、仕事に活かせたり・・・、そんな社長の人となりを是非皆様に知っていただきたくて、このコーナーを作り、連載することにしました。

是非お部屋探しの合間にでも気楽に読んでいただければ幸いです。

No.20

「<言葉>は川の流れのように」

  ひと頃「若者語」の代表格のように言われた「ら抜き言葉」ですが、いつごろから注目され始めたのかいうと『国語に関する世論調査 平成4年6月調査』(総理府 1992年)の「調査の概要」が最初とされています。そして、翌年の『現代用語の基礎知識』に掲出されました。ちょうど四半世紀ほど前のことで、想像していたよりもずっと新しいものでした。

 『日本語の謎を解く』(新潮選書)の橋本陽介氏によれば、「ら抜き」は動詞のうち、下一段活用と上一段活用に現れます。「食べる」や「見る」の「食べられる」が「食べれる」に、「見られる」が「見れる」に、というようになります。ただ、これらは可能の意味で使われており、例えば「食べられた」が受身を表す場合「弟にプリンを食べれた」とはなりません。また、「先生がプリンを食べられた」は尊敬を表し、「先生がプリンを食べれた」といえば、容易に可能を意味していると分かります。表面上は混乱しているようでも、使用上での意味的な混同が起こっているわけではありません。

 さて、日本語の面白さはこれからです。例えば五段活用の「書く」が、可能の意味では「書ける」となります。もともとは「書く」に「れる」が付いて「書かれる」でしたが、今ではほとんど使われなくなりました。「書ける」は、現在では<可能動詞>と認定され、「書く」とは別の動詞にされています。この「書ける」は、歴史的には室町時代にすでに使われていたということです。

 と、ここで「食べれる」や「見れる」を「書ける」と並べてみると、可能の意味では、下一段活用も上一段活用も、五段活用の動詞と同じ表現の変化の流れをもっていることが分かります。なんと、かつての平成の若者たちの「ら抜き言葉」は、室町以来の日本語表現の流れが表面化しただけであって、単に短史眼で(?こんな言葉があるのかどうか)物知り顔の大人たちがヤタラと騒いだだけだ、とするのは私の勝手な身贔屓でしょうか。

先の橋本氏は、音韻的にはら抜きが自然なのだから、教育などで「ら抜きは間違い」と教えるのをやめれば、それが標準になっていく、と言っています。私も、そう思います。

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