社長のひとりごと

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このコーナーは、わが社の社長「大鎌 博」が日々感じたことや、気づいたこと、為になる格言等、思いついたままに綴った、つぶやきコーナーです。

私達社員も、いつも読んで、新たに気づかされたこと、励まされたこと、勉強になって、仕事に活かせたり・・・、そんな社長の人となりを是非皆様に知っていただきたくて、このコーナーを作り、連載することにしました。

是非お部屋探しの合間にでも気楽に読んでいただければ幸いです。

No.23

「過密都市・江戸」が映す<現代>

 行きつけの飲み屋に行って「俺のボルトを出せ」と言ったという<都市伝説>を持つ、村田英雄の『夫婦春秋』の唄い出しに「♪九尺二間を振り出しに~」とありますが、間口一間半の奥行き二間で専用面積が三坪の、いわゆるワンルームです。江戸の中心部の裏長屋は、四畳半に土間が少々、もちろん三点ユニットどころか、バス・トイレはなく、押入れもありません。流しはあったようですが、水は外の共同井戸から汲んできます。過密都市・江戸では、切妻屋根の「棟割長屋」が多く、開口部は入り口のみで窓というものはなかったそうです。(『大江戸美味草紙』杉浦日向子)まるで押入れのような賃貸住宅ですが、今でいう「帰って寝るだけ」がそのままブラック・ジョークになってしまうのが江戸時代の都市型住宅の現実でした。

 さて、江戸も中期には百万人都市となり、同時代のパリ・ロンドンをはるかにしのぐ世界一の大都市となります。今の千代田、港、中央の三区で、人口の半分以上を武士が占め、市内の八割が武家地だったそうですから、残りの二割弱の土地に残りの半数の町人がひしめいていたといいます。そんな江戸っ子の都市生活では、おのずと食事は外食が多くなり、ファストフードの屋台が流行るのも当たり前です。

 また当時、江戸では朝に飯を炊いていたそうで、そりゃあ納豆も豆腐も必要でしょう、朝早くから豆腐売りや納豆売りがやってきます。江戸っ子は、朝ごはんが何より貴重で、昼は昼めし、夜は晩めしと、ちゃんと「ごはん」と「めし」を使い分けていたとか。一方、上方では、昼か夜に飯を炊き、朝はそれこそ残り飯で作るお粥だったといいます。

 それから「つき屋」という商売がありました。ほとんどの米は玄米で売られていたので、家で精米する必要があり、そこに目をつけたアンちゃんがいたのでしょう。「つきぃ~こめつかぁ~」と路地から路地へと廻り、四、五軒もやれば飯代ぐらいは稼げたそうです。今でいう便利屋でしょうか。町中の需要に目ざとく対応した分業化が始まっていたのです。当然のように<レンタル>も<リサイクル>も、はたまた<100円ショップ>も揃っていました。江戸には、現代都市生活者の需要に応える様々な萌芽があったのですね。

 

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