社長のひとりごと

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このコーナーは、わが社の社長「大鎌 博」が日々感じたことや、気づいたこと、為になる格言等、思いついたままに綴った、つぶやきコーナーです。

私達社員も、いつも読んで、新たに気づかされたこと、励まされたこと、勉強になって、仕事に活かせたり・・・、そんな社長の人となりを是非皆様に知っていただきたくて、このコーナーを作り、連載することにしました。

是非お部屋探しの合間にでも気楽に読んでいただければ幸いです。

No.28

「松茸は高根(値)の花」

 松茸の季節になりましたが、私たちの胃袋には遠い食材です。匂いさえ怪しい土瓶蒸しぐらいしか、おいそれとは口にできなくなりました。わが国では古くから特別の食材で、12世紀後半の『愚昧記』(三条実房)には「光明寺に松茸狩りに行った。山の上に椙の葉で葺いた仮小屋があり、そこで飲食した」(概要:大鎌)とあります。

 また、『新古今和歌集』や『小倉百人一首』の選者で知られる藤原定家(12世紀後半~13世紀前半)は「北山の松茸狩にゆく人はかもの川原の穂(ほ)蓼(たで)をぞつむ」と詠んでいます。なぜ鴨川の穂蓼を摘んだかというと、「山へいって、松茸ならまちがいはないが、毒きのこをとって喰った場合、腹痛がおきる。その時は、蓼の汁をしぼって呑めば、食あたりがなおるからだった。つまり、毒きのこ用心のために携帯したクスリである」と故水上勉氏は言います。水上氏によれば、子供のころは名人にはそれぞれ他人の知らない(知らせない)自分の「得意場」があって、たくさん採れたということです。 (『土を喰う日々』新潮文庫)

 そういう経験では私も子どもの頃、曾祖母に連れられて「キノコ狩り」に行ったことが何回かあります。そのうち一回は「松茸狩り」で、それぞれが曾祖母の秘密の狩場だったらしく、けっこう成果がありました。さて、松茸の採り方は教えてもらいましたが、その狩場の位置はよくわかりませんでした。というのも後年、その場所を訪ねてみたのですが、二本の収穫はあったものの、間違いなくここだという確信が持てませんでした。普段から「松茸山」と呼んでいましたから、狩場はピンポイントではなかったと思いますが、といって赤松林のどこでも松茸が採れたかというと、そういう訳でもありませんでした。

 紫シメジやナメ茸、ズイ茸等々は特に秘密の狩場という訳でもなかった(いや、そうだったのかも)ようですから、やっぱり松茸は特別なキノコだったのでしょう。残念ながら、不詳の弟子だった私は「得意場」を継承することができませんでした。

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