社長のひとりごと

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このコーナーは、わが社の社長「大鎌 博」が日々感じたことや、気づいたこと、為になる格言等、思いついたままに綴った、つぶやきコーナーです。

私達社員も、いつも読んで、新たに気づかされたこと、励まされたこと、勉強になって、仕事に活かせたり・・・、そんな社長の人となりを是非皆様に知っていただきたくて、このコーナーを作り、連載することにしました。

是非お部屋探しの合間にでも気楽に読んでいただければ幸いです。

NO.5

 

             「甲子園の土」にまつわるアレコレ 

 

 

春の選抜は敦賀気比が優勝旗を手にしました。高校野球といえば甲子園が最初に浮かびます。<試合>ですから勝者がいれば、敗者がいます。そして甲子園といえば、すでに戦前からといわれていますが、敗れたチームのナインが「甲子園の土」を持ち帰ります。TVで視る限り、相当な量を持参の袋に詰めていて、自分ひとりの記念の分量にしては、ずいぶん多いようです。それに、ちゃんと負けた時の準備をしているなんて、高校生ながら、なかなか用意周到です。

 サッカーだと対戦相手とのユニフォームの交換となるのでしょうが、どうも野球ではそんな光景、記憶がありません。甲子園の土をサッカー場に置き換えると、コート内の芝ですか?そんなことをしたら、グラウンド・キーパーに怒られちゃいますね。

 故丸谷才一氏によると「どうも日本文化の伝統にもとづくものではないかと」いいます。「日本のスポーツにはもともと、この種の風習があつたから」だと。「それは天覧相撲に召された力士が宮中の砂を持ち帰るといふ習はし」があり、「その證拠としては蓼(りょう)太(た)(江戸中期から後期の俳人)の発句がある」として、次の一句を挙げています。

――― 大内の砂を土産や相撲取         (『腹を抱へる』丸谷才一 文春文庫)

 さて、時は現代、沖縄がまだ米国統治下の頃で、初めて甲子園に出場した時(1958年)、負けた首里高校の球児たちが「甲子園の土」を持ち帰ろうとしたところ、地元の那覇港で「海外の土は入れられない」(植物検疫法に抵触)として、海に捨てられてしまいました。この処置を聞いた日本航空の客室乗務員の女性が、あまりにも可哀そうだと「甲子園の小石」を集めて贈ったそうです。法的には「石は土ではない」ということらしいですが、何というか球児たちのアツイ思い出と法律上の扱いの隔絶感に唖然としてしまいます。

 ちなみに、あの甲子園の土は阪神園芸という会社が納めているそうですが、2010年に「阪神園芸グラウンド・キーパーの土」として発売したところ、売れ行きがあまりにも激しかったため、一般向けの販売を中止したとのことです。

長い歴史の中で、「甲子園の土」は球児たちだけのものではないんですね。

 

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