社長のひとりごと

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このコーナーは、わが社の社長「大鎌 博」が日々感じたことや、気づいたこと、為になる格言等、思いついたままに綴った、つぶやきコーナーです。

私達社員も、いつも読んで、新たに気づかされたこと、励まされたこと、勉強になって、仕事に活かせたり・・・、そんな社長の人となりを是非皆様に知っていただきたくて、このコーナーを作り、連載することにしました。

是非お部屋探しの合間にでも気楽に読んでいただければ幸いです。

No.52

                                   

                    ば っ さ り  

< 「京料理」を一刀両断>

 高級な「料理屋へめったにいったことがないから、凝った美味についてかれこれいう資格を欠いているが、しかしわたしの生きるよろこびの一つが舌にかかっているという点は、食いしんぼうの一人かもしれない」という故杉浦明平氏は、「本来なら味の中心であるべきだった京都ほど食べもののまずいところはないし、昔も同様だったろう」と、京都の食文化を一刀両断です。これが書かれたのは、今から半世紀近くも前のことです。杉浦氏は、第二次大戦後、郷里の愛知県で農業に親しみながら作家を続けていました。杉浦氏は言います。

――京都は海から遠くて、海の幸にめぐまれていない。古代には日本人も鳥獣の肉を食べ、チーズなども食べていたけれど、平安朝以後仏教の影響もあって肉食の風習がなくなってからは、琵琶湖の淡水魚か塩もの干ものしか手に入らなくなったのだから、そんな土地で料理ができるわけがない。中世の公卿の日記に出てくる食べものでわたしたちの食欲をかき立てるようなものはほとんどない。うまい料理がつくれぬかわり、目でごまかそうとして、いわゆる四季の色をそえた日本料理が発達したのであろうが、肝心の味については、文化の中心地京都で、うまいものといったら、漬け物だけということになった。

 一千年もまずいものばかり食っていたら、味覚も衰弱してしまう。今でも古い家の家庭料理のまずいこと、とてもお話にも何にもならぬ。(若い家庭は日本の一般並みらしいが)

 しかしそれは歴史のせいで、京都に住む人の罪ではない、が、京都へいってあきれるのは、たらぼうだの、朝がゆだの、湯豆腐だのを、さも高級な料理らしく、千円以上の金を取って食わせていることだ。干ダラと里芋でどのように細工しようとも、上等な料理になるはずがない。(略)本来、屋台店で立ち食いするにふさわしい食物で、料理などというようなしろものではない。

 (略)京都でもっとも高級なといわれる料理を、由緒書きつきで食べさせられたことがあるが、ボリュームも脂もなく、飯を食ったような気がしなかった。料理は由緒や目で食うものではない。                    (『カワハギの肝』光文社文庫)

 京都に怨みでもあるのか、えらく手厳しいですが、といって氏に異論はありません。

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