社長のひとりごと

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このコーナーは、わが社の社長「大鎌 博」が日々感じたことや、気づいたこと、為になる格言等、思いついたままに綴った、つぶやきコーナーです。

私達社員も、いつも読んで、新たに気づかされたこと、励まされたこと、勉強になって、仕事に活かせたり・・・、そんな社長の人となりを是非皆様に知っていただきたくて、このコーナーを作り、連載することにしました。

是非お部屋探しの合間にでも気楽に読んでいただければ幸いです。

No.57

                                   

                      

<牡丹は美人の代名詞?>

 牡丹といえば「立てば芍薬、座れば牡丹云々」と、古くから(今はあまりきかなくなりました)美人を譬える花の一つですが、一説には、かの空海が日本に持ち帰ったとされています。おそらく平安初期の遣唐使の僧たちによってもたらされ、それも花の美しさというより、鎮痛効果を持つ薬草として、といわれています。

 牡丹というと長谷寺を思い浮かべる人もいるでしょうが、私などはすぐに「花より団子」で牡丹餅となります。あるいは、最近都市部でも出没するようになったイノシシではないですが、野趣あふれる牡丹鍋を連想する人も多いかもしれません。ちなみに服のボタンはポルトガル語からとされていますから無関係となります。漢字も「釦」ですからね。

 そういえば花札に「牡丹に蝶」の絵柄がありますが、この取り合わせは中国の絵画の資料には見当たらないので、もしかすると日本で組み合わされた構図ではないかといいます。ただ『荘子』に夢で胡蝶になった故事があり、それがベースとなって、同じ中国伝来の牡丹と一緒にされたのではないかといわれています。あるいは日本人が大好きな白楽天の「牡丹芳」という漢詩に蝶が出ているので、これが出どころではないかともされています。

 ところで、観賞用としてもてはやされる牡丹ですが、わが国ではその昔、大ぶりの花は美的な対象とはされていませんでした。「令和」で話題となった『万葉集』(~780年)や、『古今集』(912年)以降の勅撰集でも永く和歌の対象になっていません。時代が下り『千載集』(1188年)になってようやく「深見草」という名前で歌われることになります。つまり「牡丹」はまだ歌語になることはなく、別称(深見草)で用いられたというわけです。

 一方、散文においては藤原道綱母の『蜻蛉日記』(954~974)に初めて見られ、美的対象として記されたのは少し下った『枕草子』(~1001)で、当時はまだ美の対象として固まっていないなか、さすが清少納言(966~1025)というところです。ちなみに『源氏物語』(1004~12?)には記されておらず、同時代を生きていた紫式部(979~1016)は牡丹を美の対象としていなかったと思われます。今でいうエッセイストと小説家の違いでしょうか?

時代における感性の両端に坐する二人の表現者が遺してくれた、その後1000年を越えてなお息衝く作品には、改めての感動を禁じえません。(『古典歳時記』吉海直人 角川選書)

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