社長のひとりごと

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このコーナーは、わが社の社長「大鎌 博」が日々感じたことや、気づいたこと、為になる格言等、思いついたままに綴った、つぶやきコーナーです。

私達社員も、いつも読んで、新たに気づかされたこと、励まされたこと、勉強になって、仕事に活かせたり・・・、そんな社長の人となりを是非皆様に知っていただきたくて、このコーナーを作り、連載することにしました。

是非お部屋探しの合間にでも気楽に読んでいただければ幸いです。

No.61

                                   

                      

<子規と芭蕉翁の<視点>

 現代俳句の祖・正岡子規は芭蕉よりも蕪村を評価したといいます。それまでの芭蕉に対する評価に異を唱え、悪句として<古池や蛙飛び込む水の音>を挙げています(1893=M26)。

子規は<古池や~>を蹴飛ばす一方で、同時に<あら海や佐渡に横たふ天の川>を勇壮なる佳句だと評します。ところが、数年後の明治34年になると「たくみもなく疵(きず)もなけれど明治のように複雑な世の中になつてはこんな簡単な句にては承知すまじ」などと、無茶苦茶ともいえるケチをつけています。これが『古今集』より『万葉集』を高く評価した同一人物とは、にわかには思えないような言いようです。 (『子規365日』夏井いつき 朝日文庫)

さて、子規がかの有名な<柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺>をものするのは明治28年のことですが、子規が歯牙にもかけない芭蕉翁の①<古池や~>と、子規の②<柿食へば~>とですが、いったいどれほど違うのでしょうか? 専門的な評価はその道のプロが散々やっていることでしょうから、私なりにこの二句を比べてみます。

 まずは①ですが「古池や」という<静的な世界>があり、そこへ「蛙飛び込む水の音」という<動的な瞬間>からの跳躍によって、<時間>を<空間>へと抽象することに成功しています。これに対して②は「柿」を食べていたら「鐘」の音が聞こえ、それは「法隆寺」からだとする<私>によって、<時間>から<空間>への転化に成功している、と考えられます。私にすれば、①と②は言葉の並びは違いますが、それほど違う表現の構造を持っているとも思われないのです。両方のファンからツッコマレそうですが…。

もしも相違する点を挙げるとすれば、表現する時の<視点>でしょうか。①は芭蕉でもなく誰でもない、しかし誰にも「古池」や「飛び込む蛙」が見え、また「音」も聞える、いわば抽象ともいえる<視点>です。対して②の句は子規の、いわば一人称の<視点>で表現されています。それは写生を旨とした子規の子規たる所以なのでしょう。

 いずれにせよ、子規は相当に偏屈な人間だったようで、芭蕉忌に際して一句<芭蕉忌に参らずひとり柿を喰ふ>(1897=M30)を残しています。なにか因縁めいたものも感じますが、法隆寺といい芭蕉といい、子規はよほど柿が好きだったんですねぇ。

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