社長のひとりごと

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このコーナーは、わが社の社長「大鎌 博」が日々感じたことや、気づいたこと、為になる格言等、思いついたままに綴った、つぶやきコーナーです。

私達社員も、いつも読んで、新たに気づかされたこと、励まされたこと、勉強になって、仕事に活かせたり・・・、そんな社長の人となりを是非皆様に知っていただきたくて、このコーナーを作り、連載することにしました。

是非お部屋探しの合間にでも気楽に読んでいただければ幸いです。

                                   

                      

< 地名には歴史が刻まれている 

No.64

さて、「江戸」は地名だが「東京」は地名ではない、という説があります。

そもそも「東京」の始まりは、かの明治天皇が、慶応4717(西暦186893日)に発した詔勅で「(略)(よっ)自今(じこん)江戸ヲ称シテ東京トセン。(略)」としたことに因るそうです。問題はこの文言では「江戸を東の京とする」と言っているだけで「江戸という地名を東京に改称する」とは言っていない、との指摘です。当時は、表向きは「京都を都として残した奠都(新たに都を定める)で、遷都(都を移す)ではない」という、どこかで聞いたようなロジックが用いられています。因みにこの年、98日に「明治」と改元されました。

 爾来、京都人からは「天皇さんは、ちょっと東京に出かけてはるだけ」とあしらわれる一方、江戸・東京でも「上からは明治だなどといふけれど (おさま)(るめい)と下からは読む」と狂歌にもあるように、庶民は強い反感を持っていました。東西いずれにも敬遠され、呼び方も「とうきょう」と「とうけい」が入り乱れて、それでも江戸っ子の意地なのか、西の「京」より一画多い「東(けい)」も使われていたといいます。

 さて「東京」に対して「江戸」という地名の歴史は古く、「エド」は「ヨド」が訛ったものとされ、その語源は「水が澱んだ低湿地に由来」とか「入り江の入口や河口に由来」等諸説あり、地形に基づいて生れた自然地名であることは間違いない、とされます。「江戸」という表記は平安時代末期には定まっていたということで、江戸重継という武将が武蔵国江戸郷を領したとのことです。室町時代に、かの太田道灌が江戸城を築城し、その後徳川家康が入城して江戸幕府のスタートとなる訳です。(『地名の謎を解く』伊東ひとみ 新潮選書)

 今や「東京」とされてから150年ほどが過ぎたわけで、「江戸」の歴史的な時間の長さにはなんとも太刀打ちできませんが、視点を変えて地球規模の地理で見た時、私たちには日本の首都としての時間が十二分に積み重なっています。私たちの中ではすでに「江戸」も「東京」も、使い心地での違和感というものはほとんど感じないのではないでしょうか?

 

 

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